GAME de B-DASH

ゲームが特別うまい訳でもないけれど、ちょっぴり古いゲームから最新のゲームまでゲームと名がつく物が好きな人のブログ。

ライバルと闘い続けたセガのゲーム機たち 〜その2〜

 1988年10月29日に発売したゲーム機。
CPUはメインが16bitのモトローラ社68000、サブにザイログ社Z80Aを使用。2つとも実績があるCPUなので世間の期待は大きかった。
日本では他社に先駆けて家庭用ゲーム機に16bitCPUを搭載したことから、その本体には『16bit』の刻印が金色に輝いてとっても誇らしげ。
そして16bitCPUを使用しておきながら価格は21000円という比較的安価だったのも良かった。
コントローラーも曲線を多用したデザインで手に馴染む形状であるなど、工夫を凝らした。
他にもサードパーティを揃えたことも大きい。
性能は処理速度、グラフィック、音源とどれをとっても完全にファミコンを凌駕しており、既に世代が違う。
メガドライブのライバルと言えばスーパーファミコンPCエンジンということになる。
メガドライブの発売当時は任天堂ファミコンの次世代機の、『スーパーファミコン』を発表していたがまだ発売はされていなかった。
セガメガドライブスーパーファミコンよりも先に発売し、今度は先行逃げ切りで勝とうと考えた。
本体の製造は順調に進み無事発売に漕ぎ着けた。しかしソフトが中々揃わなかった。その理由としては16bitCPUである68000用のプログラムを組むのに慣れていなかったから。
本体と同時に発売したソフトは2本。『スペースハリアーⅡ』と『スーパーサンダーブレード』だ。セガらしい何と通好みのタイトルだろう。ジャンルも偏っており2本共シューティングゲームだ。人気アーケード作品の移植とやはりアーケードで人気だった作品の家庭用オリジナルの続編だ。
1か月後の11月27日に『獣王記』を発売。こちらもアーケードからの移植のアクションゲーム。
このようにアーケードからの移植を得意としたソフト展開はセガらしい。実にマニア受けしそうなソフト達ではないか。
クリスマスの12月24日には『おそ松くん はちゃめちゃ劇場』を発売するという暴挙に出るのもセガらしい。こちらはゲーム内容もはちゃめちゃだったが…
その後もソフト数を増やし続け、名作ソフトを数々排出。セガで一番売れたゲーム機となった。
さて、スーパーファミコンとの闘いの結果だが、ここでもセガ任天堂に敗れてしまう。スーパーファミコンは発売前から告知活動が盛んで、ユーザーから買い控えをされてしまったのも影響したのだ。発売されていないゲーム機程最強の物はない。実際スーパーファミコンが発売されるとやはり苦戦を強いられる事となった。
そこでセガは考えた。『任天堂が売れるのはマリオのお陰だ。うちもマリオのような人気キャラが居れば…』
その結果登場したソフトが『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』だった。圧倒的スピードなクールな奴。それがソニックというキャラクターだ。

 このキャラクター戦略は見事にハマり、メガドライブは再び勢いを取り戻した。
特に大きな市場であったアメリカで好調で、スーパーファミコンより売れた時期もある。
さらに1991年12月12日に『メガCD』を発売。(価格は49800円)

 これはメガドライブに装着するとCDのゲームが遊べる周辺機器で、ROMカセットと比べると大容量になるだけではなく、本体の性能もパワーアップする。
スーパーファミコンお家芸である拡大・縮小・回転機能も可能となる。CPUもメガドライブ本体よりも高速な物を積んでおり、そのCPUを並列処理させることも可能というデュアルコアを実現した。
このメガCD発売の背景には日本では強力なライバルだったPCエンジンCD-ROMシステムに対抗するため。それとやはりスーパーファミコンが絡んでいた。
当時スーパーファミコンにCDロムを付ける計画があったのだ。結局実現はしなかったのだが…

一方、セガは32bitブースターの『スーパー32X』を1994年12月3日に発売(定価16800円)してメガドライブのパワーアップまで実現してしまう。
セガの開発意欲には本当に頭が下がる思いだ。
これを付けると32bitCPUによる高度なゲームが遊べる。
メガドライブの全てのオプションを取り付けた姿は高さが約30cmにもなり、圧倒的存在感と威圧感。ユーザーからは『メガドラタワー』と言われ、愛された。
 
メガドライブの代表作は『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』、『大魔界村』、『シャイニングフォース』、『ベア・ナックルⅡ』、『ゴールデンアックス』、『バーチャレーシング(ノーマル版/32X版)』など挙げればきりがない。他にも名作多数。
メガドライブではソニックの登場と数々の名作が生まれた。その結果全世界で3000万台。アメリカだけで2000万台も売れた。
その数字はスーパーファミコンの全世界で4900万台という数字には及ばなかったが、かなり善戦したと言って良いと思う。