GAME de B-DASH

ゲームが特別うまい訳でもないけれど、ちょっぴり古いゲームから最新のゲームまでゲームと名がつく物が好きな人のブログ。

ライバルと闘い続けたセガのゲーム機たち 〜その3〜

セガ・サターン』 

1994年11月22日に発売した。(定価44800円)
メガドライブ任天堂スーパーファミコン相手にかなり善戦したセガ
勢いそのままにサターンでも覇権争いをするべく他社よりも早く発売して今度も先行逃げ切り戦法をとる。
ビクターからは『V・サターン』(オープン価格)、日立からはビデオCDも再生可能な高級機『HI・サターン』(定価64800円)も発売。
CPUに日立製の32bitのSH2を2基搭載。セガ曰く、64bit級の処理能力なのだ。
アーケードではセガ自ら開発した3Dゲーム、『バーチャファイター』、『デイトナUSA』や、ナムコの『リッジレーサー』が話題だが、まだ家庭用ゲーム機には早いだろうと考えた。
だからサターンは最強の2Dゲーム機として開発された。まあ3Dもやろうと思えば出来ますよといった性能だった。
一方、新参者ソニーの『プレイステーション』(1994年12月3日発売。定価39800円)はナムコと手を組んで3Dに特化した性能だった。

プレイステーション…確かに新参者としては完成度が高そうなゲーム機だ。しかしセガが負けるわけにはいかない。いくら相手が超一流企業であろうとゲーム業界で長年やってきたプライドというものがあるのだ。
プレイステーションは注目タイトルとして『リッジレーサー』と『闘神伝』を持ってきた。

ナムコが誇る3Dレースゲームと新規タイトルの3D格闘ゲームだ。
ならばと、サターンは『バーチャファイター』と『デイトナUSA』をぶつけて応戦した。

そうなのだ、家庭用ゲーム機に3Dは早いと考えていたセガは初っぱなから3Dの闘いに巻き込まれてしまったのだった。
3Dだけで比べられると正直サターンは厳しい。しかし当時のセガはアーケードの人気作を多く抱えていた。それらをサターンに続々移植したのだ。中でも『バーチャファイター2』は驚きの移植度だった。

サターンとプレイステーションと同タイトルが発売されることもあった。その場合大抵は2Dゲームならサターン版、3Dゲームならプレイステーション版を選べば幸せになれた。
メーカーもユーザーも分かっていたようで、サターンには2Dの格闘ゲームや、シューティングが多く発売されていた印象がある。

そんなこともあり、ある時期まではサターンとプレイステーションはほぼ互角の勝負を繰り広げていた。
…そう、ファイナルファンタジー7プレイステーションに発売されると発表されるまでは。
この発表と同時にプレイステーションの人気は一気に加速。ソニーの斬新な販売戦略もあって、ライトユーザーはプレイステーションを選んでいった。
しかしゲームが好きなユーザーはサターンを支持する人も多かった。
任天堂ニンテンドー64を発売したぐらいの頃、ようやくサターンのツインCPUを効率的に活用できるようになってきた。半透明表現が出来ない、複雑な3D表現が苦手などのハンデもあるが、数々の名作ソフトも誕生している。

プレイステーションとの激しい価格競争にも対抗したが、サターンはツインCPU など複雑な構造のためコストカットが難しく、本体を売ったら逆に赤字というところまでいってしまった。
最終的には2万円となる。
結局サターンは全世界で926万台の売上台数で、日本だけで560万台売れている。
アメリカで売れなかった理由として、メガドライブ(ジェネシス)が好調過ぎたから。
他にもメガドライブの『スーパー32X』というパワーアップブースターを発売したのにサターンを発売したのでユーザーから不評を買ってしまった。
日本ではプレイステーションの次に売れたゲーム機という印象ですが、全世界で見ると売れなかったゲーム機なのだそうです。