GAME de B-DASH

ゲームが特別うまい訳でもないけれど、ちょっぴり古いゲームから最新のゲームまでゲームと名がつく物が好きな人のブログ。

カセット交換式ゲーム機の遍歴 〜その2〜

『テルスターアーケード』

 1977年コレコ社から発売。
日本には1978年に砂川産業より29800円で輸入販売。
三角形の形をしたユニークな機種で、見た通りそれぞれの面にハンドルコントローラーや光線銃が備わっている。
カセットは4種類しかないが、そのカセットまでも三角形なのがこだわりを感じられる。
本体性能はAtariVCSには敵わないが、その分こちらは体感出来る操作が魅力。
コレコ社のテルスターシリーズはこの機種で最後となり、そのDNAはコルコビジョンへ受け継がれていく。

『インテレビジョン』

 1979年にマテル社から発売された。
日本には1982年7月にバンダイが49800円で輸入販売した。
AtariVCSを越える性能を持っており、この当時にして何と16bitCPUを搭載している。
表現力が向上しているのは勿論、コントローラにはテンキーと丸形のパッドを備えていた。
ゲームカセットを購入するとテンキーに被せて使用するシートが付属しており、操作ガイドの役割を兼ねていた。
アメリカでは300万台販売しており、『アタリ・ショック』からの脱却を予感させた。
日本ではTVCMにビートたけしを起用したりして頑張ってはいたが、高すぎる値段が影響してあまり売れた印象は無い。

 1981年7月30日にエポック社が発売した。
本体にCPUは搭載しておらず、カセットの方にNEC製のLSIを載せている。このLSIで演算、プログラムの格納、画面作りの全ての処理を行っている。カセットによって演算Bit数も異なり、4Bit~48Bitと色々な種類がある。
画面は荒々しいドットで、お世辞にも高性能とは言えないが、三角形のドットが存在するのが特徴。
当時本体にCPUを搭載したゲーム機は数種類出ていたが、日本ではいずれも50000円位する高価ものだった。カセットビジョンの場合本体はコントローラーの役割位しかないので本体価格は13500円と安く出来た。更にカセットにおいても国内生産なので安定した価格で供給。
ゲームタイトルにはエポック社の得意とする『ベースボール』を筆頭にSNKアーケードゲームだった『与作』を移植した『きこりの与作』が人気。
他にも『ギャラクシアン』、『パックマン』、『ドンキーコング』、『スクランブル』、『ペンゴ』等から影響を受けたオリジナルゲームなどを発売。それまでの日本の家庭用テレビゲーム機と比べてバラエティー豊かなソフトが揃っている。
販売台数は45万台。任天堂ファミリーコンピュータが出るまで日本で覇権を握った。

 1982年にエマーソンラジオ社から発売された。
このアルカディアという機種は30種類にも及ぶ互換機が発売されており、日本ではバンダイが1983年3月に発売した『バンダイアルカディア』が一番有名。
バンダイはインテレビジョンの販売において、高すぎる値段で失敗した反省の元、アルカディアをインテレビジョンの後継機と位置付け、19800円で販売した。
しかし4ヶ月後に任天堂ファミリーコンピュータが発売されると9800円に値下げを断行する。
ゲームタイトルは基本輸入物だが、日本独自のタイトルとしてバンダイのキャラクター版権を利用した『機動戦士ガンダム』、『Dr.スランプ アラレちゃん』、『ドラえもん』、『超時空要塞マクロス』の4タイトルがある。

『コレコビジョン』

 1982年8月にコレコ社が発売した。
スペックでは後に発売される『セガSG-1000』や、『MSX』と似た能力を持っていた。
コレコビジョン専用のゲームでは当時として考えると美しい画面でゲームが遊べ、他にもAtariVCSのゲームも動作可能というお得な機種。
コレコビジョンのゲームでは特に『ドンキーコング』が有名で、任天堂の許可を得て開発した本作は高い完成度を誇り、コレコビジョンの売上に貢献した。
他にもコナミの『けっきょく南極大冒険』や、『わんぱくアスレチック』等、後にMSXに移植されるゲームが出ているのが面白い。
売上はアメリカで300万台。

 1983年7月19日にエポック社が発売。
4日前の15日に発売された任天堂ファミリーコンピュータ(以下ファミコン)に対抗するための機種。
本体性能では到底勝ち目の無いカセットビジョンではあったが、ファミコンに唯一勝っているところがあった。それは価格の安さ。
その価格を更に安く提供できるように改良を加えたのがカセットビジョンjr.だった。本体価格は驚きの5000円。この価格はファミコンを買ってくれとせがまれる親には有り難かったのではないだろうか。
子供にとってはたまったものではないが、セガSG-1000と並び、これじゃないハードとして君臨した。

 打倒ファミコンに燃えるエポック社1984年7月17日に14800円で発売したカセットビジョンの後継機。
ファミコンの一年後に発売したにも関わらず本体性能はファミコンに劣っていた。コントローラーを見てみても、ファミコン十字キー採用している時代にスーパーカセットビジョンは前世代から変わらないスタイルを貫いていた。
唯一128個のスプライト機能だけが自慢できる点であったが、その機能を活かすカセットは最後まで現れなかった。
サードパーティから多くのゲームが発売されるファミコンや、アーケードからの移植を得意とするセガとは違い、エポック社だけが頑張ってゲームを発売してもライバルに比べて魅力が低かった。
1985年には『スーパーマリオブラザース』のヒットで更に売上を伸ばす任天堂。一方セガも新ハードの『セガマーク3』を投入するなど、激しくなる家庭用ゲーム業界に追従していくことが出来なくなり、エポック社は1986年末にハード事業を撤退した。
後の1989年に『ファミコン野球盤』というファミコンソフトを発売。
あの打倒ファミコンに燃えていたエポック社ファミコンソフトを出す事になるとは何とも複雑な心境になってしまう。

□まとめ
黎明期の日本のテレビゲーム業界を牽引したのは間違いなくエポック社任天堂だった。
任天堂とのシェア争いを繰り広げ、カセットビジョンでは他のゲーム機と違い、独自のゲームタイトルを発売した功績は大きい。
日本のテレビゲームの幕開けはカセットビジョンと共にあったのかもしれない。